・波よせて海府の海の膨らめば
岩おどるもあり唄えるもあり
・外海府みさきみさきの間にて
浪遊ぶなり岩をだきつつ
・浦いくつ村いくつ越え外海府
潮の煙にわが路曇る
これを詠んだ歌人はどなただとお思いですか。
与謝野鉄幹が前の2句を。同じく晶子が3句目を読みました。
大正13年8月に佐渡を訪れてから10年後の昭和9年11月、再び来島の折り詠んだ歌です。
2日の河原田・相川中学校・佐渡鉱山での講演会を終えたあと、翌3日入川の高千鉱山を訪れた際、詠んだといいます。この時、大倉でバスが折り返していますから、全くの私見ですが、歌の状況から考えますと、この大倉からの帰り、大野亀・関岬・ワシリ・赤崎などの風景が良く見える、入崎からこの歌を詠んだのではないかと思います。
昭和9年に、この海府海岸は名勝地に指定されました。
選定理由は、凝灰岩や玄武岩等の火成岩で構成された岩石が隆起によって、岬や段丘・そしてトンボロ(陸繋地)により壮大な地形を形成していることによるものです。
これらの形成は、主に3,000万年 〜1,200 万年まえのアルプス造山期、いわゆるグリーンタフ造山期のものです。これにより相川〜真更川・金北山の地層が出来た訳ですが、その後300万年 〜100 万年前にかけて、ユーラシアプレートと北米プレートのぶつかり合いにより、この大佐渡山系が隆起してきました。この時の仲間が粟島や飛島で、また奥尻島もその仲間にあたります。奥尻島の奥尻海嶺の発達と同様に佐渡弾崎沖に佐渡海嶺が発達しているのはこんなわけなのです。
特に日常生活には役立ちませんが、こんな海府の「へぇ〜」を、これから紹介していきたいと思います。<つづく(写真はあとでネ)>
2004-05-29 | おんごろべ