さて、こんな訳で、複雑な地形を有していますから、海底は魚介類の住処となっているわけで、それらをもとめて海士がやってきます。外海府の願という地名も、賽の河原の信仰からではなく、ネガイ=根の貝からきていると伝える人もいます。
柳田邦男の説を持ち出すまでもなく、隠岐の島や舮倉島などのように、海を渡ってきた海士たちが、この地に居つくようになり、そして、いわゆるヤチ田=ヤチの沢といわれるような、沼地に近いところに稲を植えはじめた、そんな姿が想像出来るわけです。もっとも、それらは一朝一夕ではなく、能登と舮倉島の間にある七つ島のようにゴーストタウンになったりして、海府にこのような集落が確定するのは鎌倉時代以降のことだとされています。
<つづく(写真は間に合いませんでした。ゴメンナサイ)>
2004-06-06 | おんごろべ