昭和57年のことです。藻浦崎の根元にあたる石花川右岸で、土地改良にともなう発掘調査がありました。そこは馬場とも石花炭町ともいわれている所でした。
そこは、近世初期に沢根の鶴子銀山に納める炭を焼いていた場所で、そんなに古いものは発掘されないだろうといわれていました。
ところが、青銅製のバックルらしきものが見つかって、みんなは!!!???と思いました。そして、つぎに「まさか・・・・」。
それもそうでしょう、『続日本紀』の欽明天皇天平勝宝4年(753年)に「渤海使 75人佐渡に流れ寄る」とあったのですから。
発掘された青銅製のバックルも渡来のものらしいし、また高貴な方々の着けたものらしいし・・・。
ちなみに、石花の神社の神様は、かつては「蘇民将来」という朝鮮の神様を祀っていると伝えられていましたが、大正7年発行の『日本伝説佐渡の巻』を読むと「外来人なれば、祭神とするにふさわじ」として、今の熊野神社に名を改めたとか。
ウム。脱亜入欧が完結した帝國日本の意志が明確に現れておりますな。
以下、続く・・・。
<なにをきどってんだか。いつ写真をのっけるのだよぉウ・・・>
2004-07-02 | おんごろべ