やぁ〜、ヨンドコネ〜(申し訳ない)。
渤海使の佐渡漂着を「欽明天皇天平勝宝云々」と、知ったかぶりして書きましたが、これは間違い。粛慎人漂着とごっちゃになってました。
<写真をど〜するんだと、面罵されておりまして、まともではなかったんですよ〜ぉ>
渤海使の佐渡漂着は、聖武天皇天平勝宝4年(752年)。
一方粛慎人漂着は、欽明8年(544年)ではなく、5年です。
ワハハ・・・。落語の「酢豆腐」の若旦那みてーだのぉ〜。ア〜ショウシネー(恥ずかしい)。
ま、そんなこんなで、佐渡は漂着する人々が多かったのです。
対馬海流とリマン海流の交差する佐渡は、日本海の要衝でもあったわけで、ラッコやアザラシを追いかけてくる北方民族がやってきたり、また佐渡で造ったマガタマなどを、北海道へ運んだり、私たちが考えている以上に交流が盛んだったのです。
海府で時々、瞳が青かったり、肌が白い子供が生まれていたそうですが、もしかしてそんなDNAが受け継がれていたのでしょうか。世に言う「海府美人」誕生の秘密がここにあったりして。
<今回は、プライバシー保護のため写真は掲載しません!!>
「何鼻めろ(鼻の穴)ふくらまげーて(ひろげて)言ってんだヨー。風景の写真を出せちゅんだわえ〜。こら!!逃げるな!!」
2004-07-09 | おんごろべ