海府ごろよむ通信

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夢の中へ−英国機不時着事件始末記−その7

 入川の浜に突然出現した金網の滑走路。それは、幅50メートル、長さ500メートル余りの巨大なものでした。
  その完成は、あの異邦人達との別れを意味していました。

  拳銃の試射をさせてくれた整備兵。
  相川音頭を披露してくれた搭乗員。
  休日のたびに、小学校でバスケットボールや卓球も教えてくれましたっけ。
  手伝った子供にくれたチョコレートの大きかったこと。まるで子供の下駄のようでした。
  ところで、ムラの結婚式の写真どうなりました?「ビュウティフル!!」と喜んで何枚も撮影していましたね。

  離陸も近づいたある日、村長の経営する旅館で送別会が催されました。ムラ人たちも集まった大宴会でした。飛び入りニワカも交じり会場は、相撲場が崩れたような爆笑の渦でした。
  会の締めくくりに、女性群も混じって"蛍の光"をうたったところ、機長らはびっくり。
  それはそうでしょう、大英帝国のスコットランド民謡が、ファーイーストのジパングの、遠い遠い小さな島の、それも北の箱庭のようなムラで歌われているのですから。
  全員肩を組んでの大合唱。
  いつしか、涙もまじっていたそうです。

  後日、機長らの返礼の宴が催されました、軍用缶詰を用いた洋食で、とても豪華でおいしいものでしたが、オケに砂糖を入れたゲナゲナしたものはとても食べられませんでした。
  それが、リゾットなるものなどとは、ムラ人の知ることではありませんでした。

  3月3日、いよいよ離陸です。
  機体を軽くするために、不要なものを降ろし、燃料も新潟までの片道分であったそうです。
  プラット&ホイットニー社製R−1830−92星型ピストンエンジン1200馬力2基がうなりをあげます。1基だけでも、零戦のそれを凌駕します。
  やっぱし、これじゃあ勝てえんわなぁ〜。これって「自虐史観」???

  そして、滑走。200メートルも走らないうちに、様々な想いとともにフワリと舞い上がりました。
  すると飛行機は、高千の上空を何度も何度も旋回します。まるで、与兵衛に助けられた鶴のようでした(ここは心象風景ね。あんまし書きすぎると○玉○栄さんみたいになるから抑えます)。

  操縦席の窓から機長が手を振るのが見えました。1秒1秒がまるで果実のように甘く感じられました。
  ムラ人たちは、間峰のはるかかなたに、機体が見えなくなるまで手を振りつづけました。
  まるで、夢のような40日間でした。

  目的を失った鉄網の滑走路が、所在なさそうに横たわっています。ムラ人のさざめきも波の音に混じりながら、遠ざかっていきました。


  復員兵でムラもにぎやかになってきました。
  まもなく、畑仕事の準備が始まろうとしています。


  やっと、終わります。次回は作者取材のため休みます・・・・・・

 

 



 ゴンッ!!!!

 



  あまされんな!!!!!!!!!!>

 

2004-10-30 | おんごろべ

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