海府ごろよむ通信

■ 海府よもやま話 −海府の「へぇ〜」を紹介しています。−

帆下伝説のこと

 海府には、寄神伝説とともに帆下(ほさげ)伝説が数多く伝えられています。
  上(カミと読んでください。相川方面をこのように言います)から挙げると、姫津の虚空菩薩、北狄の馬頭観音、戸中は地神ではなくムラ沖を通るとき、そして後尾の石動神社、北立島の熊野神社などなど。
  こげなことになれば、海上交通どもショーベーになりませんね。マアーそれほど霊験あらたかなのであると誇る気持ちもわからぬではないが・・・。
  けも、網野先生は中世期の海賊や交通税にからめて説明しておったようですが・・・

<ほぉ〜〜〜〜〜〜そこんとこちょっと教えてくれぇ〜さ>

<・・・・・・・・・・・・・>


ピィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ
・・・只今機材トラブルのため通話ができません。のちほどお掛け直しください・・・



どげんしたんだ!!!!!!>

<ベ!ベ!勉強しなおします!!!!!!!あんまし深く追求しんなや・・・


  閑話休題。さて、入川も富士権現が、沖の船が帆を下げないとどうしても通してくれないので、とうとう土の中に埋めてしまったとか。ムラでは風の神さんだとも言っていますが、そうだとすると農耕の神様の霊験もあるわけですね。
  入川には、「樋口」や「池田」姓が多いのですが、樋口は、佐渡金山の山師に関わる姓で、相川の(樋口)五郎左衛門の一族でしょう。また、池田姓は、相川の鹿伏や達者の新田開発を行った一族でもあります(断定できませんが、そのように言われています)。
  たぶん、海の生業を中心とした入川に、入川鉱山の開発に渡ってきた人々が住み着き、彼らの持つ鉱山技術で次々と新田開発を進めていったということが推理できます。

  こんな伝説もありました。
  池田一族の長は加賀の船乗りで、入川に水をくみに来て、そのまま居ついたのだと。
  同家には、前回もふれておきましたが、「漆千杯朱千杯(千貫とも)」が屋敷の「代はじめの木」の下に埋めてあるはずだとされており、一説には金が埋まっているとも。

  そういえば、鉱山のあった戸地でも似たような話があったな〜。


<オイにも金が2つあるけもな〜>


ゴツン!!!!!!

  ほうべんなしが!!!!

  そげなこびしょねげーなもん、

  ほかりだすな!!!!!!>




  おあとがよろしいようで・・・・・

2004-11-13 | おんごろべ

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