海府ごろよむ通信

■ 海府よもやま話 −海府の「へぇ〜」を紹介しています。−

神々の宿る岩「おんべ」

<「おんべ」をしっとるゥ?>

<オンベコんことだかや>

<そりゃウミウシ、アメフラシのことだがや>

  「おんべ」は「御幣」のことで、神様の宿る依代(よりしろ)のこと。神棚に、紙で作ったビラビラしたもんのことです。

  鹿伏には、「おんべ瀬」という瀬があり、かつてはそこで採れたワカメを産土神に供えることになっていました。そして、そこで刈り取ったワカメは、村中で分けたそうです。
  また、戦前には、その瀬にお神酒や赤飯をしずめたとも。大浦や橘にも、「おんべ」があり、確認できませんでしたが、同様の風習があったと想像できます。
  ワカメは、万葉集で人麻呂が
   磯に立ち沖辺をみれば海藻刈(めかり)船
     あま漕ぎ出づらし鴨翔けるみゆ
と詠んだように、太古より人々に親しまれ、また山口県住吉神社や福岡県早鞆神社の布刈(めかり)神事のように、神々へお供えするための厳粛な儀式もありました。
  このような神事は、伊勢志摩や山陰・北九州に多く、海人族と深い関係があります。
  しょっぱなに、外海府は海人族の拓いた地であるといいました。とすれば、「おんべ」という瀬はまさに、神饌確保のために、海人たちが設けたサンクチュアリだったのでしょう。

<おいおい、やぼにカテげーな文章になっとるが・・・・。>

  入崎の沖合いに「沖の神子」という岩礁があります。先日、拉致の国からホトケさんが高千漁港に流れてきましたが、そのカミ隣の千本集落の地先です。
  ここは、海上交通の難所で、船がよく遭難しました。
  昔、そのうちの一つの岩に若狭の船が乗り上がり難破したのですが、いまでもそこを「若狭」といっているとか。

<・・・・・・・・たしか、江戸末期に、加賀の元吉の船が沖の神子で破船した記録があったかと思うたが、アル中ハイマーで、出典を思い出せえん>

  ちなみに、ここのワカメは「沖の神子ワカメ」として有名で、入崎に祀られている入野神社に神饌として供えられていました。
  この入野神社は、北田野浦の者が奈良吉野の丹生川上神社から勧請したとされ、たいへんあらたかなものだったので、沖を通る船は帆下げなければならなかったし、ほうかむりした人はその前を通らせなかったともいいます。
  ある時、能登の船がたびたび航路を邪魔されるので、これでは大変と能登へ持ち帰ってしまいました。ムラの者が怒って取り返しにいくと、神様は「能登のいごごちがいいので、ここにおる」 というので、しかたなく戻ってきたといいます。

  能登と入崎、青潮とも呼ばれる対馬海流で強く結ばれていました。
  そして、海人族たちも・・・。

<なぁー(あなた)、読むモンがセッペコとになったら、やぼん文がカトウなっとるが>
<やうちばっけーだったもんし、おじゃまんたんでもよかったんだけも、しょうしね〜もんだし・・・>




  ちょっとネタが硬かったかな〜

 

2004-12-10 | おんごろべ

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