関の寒戸に灯明が見える
どこの十九が来てともす
日本海に大量の岩礫が突き出して出来た寒戸(さぶと)。重なった岩石によって形成された風穴で、真夏でも冷たい風が吹き出します。
寒い所だから寒戸。戸は所の意味です。下戸とか登戸と瀬戸とかの仲間ですね。
二つ岩団三郎の弟子のトンチボの棲家としても知られています。
関の背後にそびえる知行山が、崩落して出来ました。
・・・閑話休題・・・
あるときね、カーラジオを聞いていたの。天気予報をやっていたの。
そしたらね・・・・
「大雨の恐れがあります。ガケナダレ・ヤマナダレに警戒してください。」
ガケナダレェ〜〜?????最近そんな表現するのかしら。
ヤマナダレェ〜〜?????何のことかいな・・・・・・・・
ナダレ = 雪崩
漢字二文字でナ・ダ・レだよね
!!!あっそうか!!!雪崩を雪ナダレと理解していたのか。
なるほど、山崩れ・がけ崩れ。
ウン。ヤマナダレ・ガケナダレって読むのんはナァ〜〜〜。
某、エビジョンイル率いる放送局のお話でした。
オイさェ〜〜〜〜〜〜
いらんこと書きすぎた。
この、知行山の崩壊がいつだったのか。
古文書などの記録には、まったく触れられていないのですが、おおむね4〜500年くらい前だろうといわれています。
で、調べてみると「慶長19年(1614)10月25日越後高田で地震。震域極めて広く会津・伊豆・奈良・大阪・松山などで大地震。津波あり」として、越佐海峡を震源地とするM7.7の地震が有り、4〜6メートルの津波が襲ったとあります。
うむ、これで知行山の巨大崩壊があったのだな、わたくしめは思っていました。
けもですねェ〜、そげな天変地異でありながら、地元には何の伝承も記録も無いのですよ(○玉○栄の「お杉の話」という創作の元になった断片はあるけれど・・・)。
佐渡の全気象災害を網羅している『佐渡災異誌』(相川測候所1962年)にも、触れられていません。
東京大学出版会の『古地震』は、この地震を疑問視しており、慶長16年8月21日に会津を襲った地震のことではないかとしています。
また、大津波については、慶長9年12月16日の南海地震津波であるかもしれないとしています。
ここでは、会津の地震の史料も紹介されており、会津から越後境にかけて、「巌崩れ水を塞ぎ、淵は瀧となる」とか「那麻・河沼二郡を浸す・・・・山崩れ地裂け湖水ここに湛(たたえる)」「山崩れ河塞り、暴水嚢陵(ぼうすいのうりょう、って読むのかな???」と、中越大震災の山古志村などの状況を彷彿とさせます。
もしかして、この地震が知行山崩壊に、何らかの影響を与えたのかもしれません。
昭和39年6月16日の新潟地震によって地盤にダメージを受けた大佐渡山系が、翌年の9月17日の台風24号のもたらした豪雨で、大規模な土砂崩れを発生させたと同様のことが、関に起きたのでしょう。
中越大震災。余震は収まりつつあるとはいえ、雪解け・梅雨・台風と、まだまだ緊張をしいられる日々が続きます。
なんも、せんえん自分がはがいいのぉ〜。
次回は、津波来襲・佐渡宝暦地震です。
2004-12-24 | おんごろべ