海府ごろよむ通信

■ 海府よもやま話 −海府の「へぇ〜」を紹介しています。−

津波来襲 - 佐渡宝暦地震

 「ツナミは港の波の意味・・・」と、フランス国営放送F2は説明します。
  その巨大な威力にあっけにとられたか、地震との因果関係がわからないのか、いまいちピンとこない顔で、12月26日発生のスマトラ地震津波災害を伝えています。
  インド洋大津波と呼ばれることになるのでしょうか。

  津波経験のないインド洋沿岸の人々も、この現象を理解する間もなく、津波に呑み込まれてしまいました。
  ニュース映像で、たまたま見たのですが、沖まで引いていく潮を珍しがり、海岸に大勢の見物客が集まっていたとか。また、ある映像では、桟橋にむらがっていた野次馬たちが、大津波に追われ蜘蛛の子をちらすように逃げる一瞬が撮られていました。



  どこかで、見た風景だなァ〜と思いました。



  昭和56年5月26日。秋田沖を震源とする日本海中部地震の風景と瓜二つ。
  輪島港で、津波に追われて逃げ惑う野次馬とまったく同じです(そういえば、波頭けたてて岸に向かってくるのも、まったく同じでした)。


  その時まで、日本海沿岸の人々は、日本海では津波はないと思い込んでおり、地震があったら、山崩れに気をつけろ、海岸に逃げろという言い伝えがあったといいますから・・・・。

  日本海側で、近世期に発生した津波をともなう地震をみると、寛保元年(1741年)7月19日に発生した北海道渡島地震です。
  地震規模はM7.5と推定され、3.5mを超える津波で松前を中心に1,400名以上の溺死者を出しました(『月刊海洋科学』日本海中部地震津波特集)。
  この地震は、活断層が動いたものではなく、渡島が大噴火により、山体が大崩壊したことによるもので、『佐渡国略記』には「酉7月19日晴天にて海上悪しき波1〜2枚打ち」、その後海面が元通りになった。廻船が被害を受けた、松前では大波で大損害だった、とあります。そして、123年前にもこんなことがあったと記録されています。これが前回幻の慶長地震を指しているのかどうか(益々混乱しちゃいますけも・・・・)。
  多分、伝承をそのまま記録したんだろうなァ〜。



  宝暦12年(1762年)3月4日昼頃軽い揺れがありました。
  6月18日西浜の漁師がマンボウという珍しい魚を釣り上げました。下戸の魚屋がお奉行様へ御覧に入れたところたいそう喜ばれ、お酒をくださいました。
  この年は、お奉行様交代による人事異動やら、天子様の崩御などでせわしない日々が続いていました。

  9月15日午後2時ごろ、突然激しい立揺れが襲いました。

  奉行所北側の石垣が崩れ、長屋や勝場(せりば)、相川の寺院の石垣も痛み、金山では落石でけが人が続出、鳥越間歩では石選の女が即死しました。
  また、真野の順徳上皇の御廟の石垣も崩壊しました。
  後の話ですが、出雲崎から帰ってきた坊さんの話では、越後辺はそのような様子はなかったとのことでした。

  それから、1時間程経った頃、再び激震がありました。
  その直後、願村に大波が打ちあがり、家18軒、納屋・土蔵40箇所全てが流されました。隣村の北鵜島では、5軒が潮に浸かりました。
  佐渡奉行はただちに、100日分の夫食米を支給することにしました。

  『月刊海洋科学』日本海中部地震津波特集で羽島徳太郎氏は、地震規模をM7としています。ただ、津波の高さを1mとしていましたが・・・。

  以上が『佐渡国略記』に記録されていることです。

  更に、ここには次のようなことも記述されています。
  「外海辺国中村々大木根返り等多く有之」
  まさに、中越大震災と同じ、直下型地震だったのでしょう。

  おそらく、佐渡直下を震央とする地震が発生し、それに引きずられるように、海府沖の活断層が動き、津波を発生させたものと考えられます。ただ、津波の規模がそんなに広くなく、局地的なので、海底地すべりによる津波かもしれません。
  シロートながら、そんなことを考えています。


  スマトラ大津波。どんどん被害が拡大していきます。


  ある時、じやんたちがしゃべっていました。
  「津波ちゅうても、4〜5mぐれ〜、冬の大ノタ(波)に比べれば、何でもねーっちゃ」
  「そーだのぉ、こんじな(この間)のは9mだしけんの〜」

  まだまだ、こんな意識なんでしょうね。みんなは。

  けれども、津波は海全体が、激流のように押し寄せてくるので、高波に比べて、そのエネルギーや破壊力が天文学的に違います。

  また、こんな人もいました。
  「俺は、泳ぎが達者だし、大丈夫だわ」

  津波の溺死者のほとんどが、北海道南西沖地震津波(93・7.12)の犠牲者のように、流木などの浮遊物にまきこまれて致命傷を負います。また、日本海中部沖地震津波での能代港のように、津波に巻き込まれコンクリートの地面に打ち付けられて犠牲となるケースもあります。

  とにかく、波というイメージとは異なります。




鉄砲水


なる!!!




  まさにこんな状況なのであります。

  エビジョンイル放送局のおねーさんアナウンサーならば、

 

 

「海なだれ」

 

とでも呼ぶのでしょうか。

 

 なにはともあれ、グラっときたら、すぐ津波という心がけで、常在戦場の意識をもたんなんです。

 

 とくに、両津のモン・外海府のモン。

 

 押し付けがましい文言と、尻切れトンボでよんどこねーですが、今年はこれでバンバンにします。

  じょうん(大変)でしゃばったこといいました。観念してくれェっちゃ・・・のっ!。

 

 次回は、小木半島隆起す-享和佐渡南部地震をお送りします。

2004-12-31 | おんごろべ

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