海府には、「甚句」のほかに「なげだし」「やんさ」、そして「そーめんさん」という、 民謡が唄われていました。
「そーめんさん」。
“あんちゃんだともて(思うて) 前の柿の木にかきついた”なんていう歌詞もある んですが、こんなのもあります。
“おらがよ そうめんさんの出どこ 能登の輪島か蛸島か”
そういえば、佐渡おけさの“佐渡は四十九里波の上”の四十九里は、能登からの距離 ですから、大いに関係あるといえばあるわけですね。
入崎の神さんが、能登の者に持ち去られたという話を以前書きました。
もう一つ、こんな話があります。
千本のある人が丸島で網をかけていたら、お薬師様がかかりました。その者が驚いて 「ありがたやさん」に問い聞きしたところ、「能登に行って、俺の体をやんべ(確か) にして欲しい」とのこと。
そこで、能登にお薬師様を連れて行って、やんべに直しました。そこで、佐渡へ戻ろ うかという段になったら、それまで風があったのに、ベタなぎになって船が動かない。
さてどうしたものかと再び問い聞きしたら、「土産をくれないと戻れない」と答えまし た。
そこで、その者が「ほんなら、俺が田をやる」とゆうたら、いい風が吹き始め、能登から千本へ帰って来ることができたといいます。
この土産にあげた田んぼは「能登田」ということになったそうです。
千本には「能登」という苗字も伝わっていますから、大変、能登と関係が深いことが わかります。
“加賀の元吉 高下の澗で果てた 高下金剛寺の念だもの”とか・・・・
“加賀の元吉 千本の念で高下の澗で 船こわした”とかいう甚句が伝わっていま すが、能登や加賀と頻繁に交易があったことを意味しています。
ちなみに、達者の和倉一族は和倉温泉から、小川の小杉一族は越中小杉から、姫津 の加賀、戸地の越前や金津も、それぞれの出身地を名乗っています。
あ、そうそう、『金泉郷土史』に、こんな話もありますよ。
北狄での話。
昔、加賀の船乗りたちが、北狄でふぐをやぼに捕った。ムラの者は気色悪がってく わなかったが、加賀の者たちは平気でふぐを食べた。それで、ムラの者たちは「加賀の者だ」といってふぐを食うと当たらないと伝えているとか。
ちなみに、ふぐの子の粕漬けや塩漬けも、能登では特産になっていますが、その製造技術も、やはり彼らによってもたらされたものなのでしょうか。
もう一つ。
海府では、秋刀魚のことをバンジョウというじゃない。
何でかな?と思っていたら、『佐渡国略記』にこんなん出てました。
「享保七年(1722)○寅八月頃よ見なれ不申候魚上リ、是ヲ能登番匠ト云、其節能登ニ而茂其類之魚上リ殊之外其湊繁昌致候ヲ即能登繁昌ト名付ク、当国ニ而其名ヲ申違能登番匠ト云」(ちょっと難しいけれど、当時の雰囲気で)
「そーめんさん」に唄われたように、食文化も“青潮”とよばれる対馬海流に運ばれてきたのだなぁ〜と、ちょっと感慨深いものがあります。
ノゲイラのスピニングスリーパー的な新年会に、脳みそが奈良漬状態になっています。
よって、今週はオチはありません。
2005-01-29 | おんごろべ