こげでもか〜、こげでもか〜ちゅうて、すてやぼげ〜(チョーすごく)に飲むんだもん。
γ-GTPの数値はてんじょこさん(天高く)ぐれ〜にあがっとるわェ〜。
ナミサンボ〜さめなますデス。
新年会の暴風をしのいだと思ったら、四十二だ、還暦だ、喜寿だ、傘寿だ、米寿だと、ホーベンナシにというか、フントコマツになって飲みささくっています。
なんせ、5時間、6時間のフルメーは当たり前で、これにカラオケなんぞ入ったら想像を絶するものがあります。
恐るべし、海府の宴会。
かつてフルメーでは、3段から5段重ねになっている杯を、上から順番に全員で飲みまわしていきました。そして、全ての杯を飲み干した後、一番下にある、それこそ1升も入ろうかという大盃を飲みまわします。
その時には、亭主が「これで"つもり"にします」と、フルメーの終わりを告げます。
かなり、出来上がっている中で、締めの1杯はやはりきいたらしく、最後は修羅場になったそうです。
けれども、賄いをしている女衆には、折り目切れ目がはっきりしていいと評判だったとか。
この「つもり」の盃、別名を「寅の尾」とも呼ばれ、今では出番のないまま、蔵の奥にひっそりと置かれています。
でも、高千のあるムラでは、フルメーをお開きとする前にこれをやるようで、死屍累々の態をなすとか。カカだちにマクずり出されるトトだちの姿は、笑いを通りこして哀れを誘います。男って本当にバカです。学習能力は皆無です。
こんな川柳があります。
酒の無い国に行きたい二日酔
三日たつとまた戻りたくなる
だちかんの〜
佐賀鍋島藩士山本常朝は『葉隠』で次のように述べています。
「酒盛のやうすはいかふ有るべき事也。心を付けて見るに、大かた呑むばかり也。酒といふ物は、打上り綺麗にしてこそ、酒にてある也。気が付ねば、いやしく見ゆるなり。大かた、人の心入、たけだけも、身ゆるもの也。公界物也」
翻訳します(ほとんど意訳。別名○玉○栄)
酒を飲むときはどげんしるか。タマセを置いて見ると、テーゲのモンはただ飲ンドルだけ。酒ちゅうもんは切り上げをうつくしゅーしるし、酒なんだ。このことを知らんもんは、ゲスげーに見えるもんだ。テーゲ、そのモンのギョウテーやタデが見えるもんだ。えーか、酒の席は世のモンが見とるんだろー
まだまだ、飲む機会がせっぺことありますが、ご自愛専一に。
今回も、オチはありません。
2005-02-04 | おんごろべ
修正(2005-02-08):
文中「藩士」を間違えて「半紙」と変換していましたので、修正しました。
ま〜、ほんとに「だちかんの〜」です。m(_ _"m) ペコリ