はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜・・・
アルコール漬け日々が過ぎ去ったと思ったら、こんだぁインフルエンザ。
全然更新が出来れせん。
けも、画面から消えんとこみると、みんなもお疲れなんだかなー。
こげにヘロヘロンとこに、南セントレア市(愛知)だの太平洋市(千葉)だのと、新設大学なみの、脱力感一杯の市町村名誕生(潰れましたけれど・・・)のニュースに、逝ってしまいました。
加えて、にかほ市(秋田)・はながさ市(山形)・かすみがうら市(茨城)・つくばみらい市(茨城)・みどり市(群馬)・さくら市(栃木)・たつの市(兵庫)・南さつま市(鹿児島)等など、ひらがなのオンパレード。いつから日本人は識字率が低くなったんだぁ〜?これも「ゆとり教育」のせいなのか。
くわしくは「バカ市町村合併問題まとめブログ」で。
もっとも、明治22年の町村制発布−7万余りのムラを、標準300戸のムラに再編、1万6千余りの町村にまとめた、いわゆる明治の大合併というやつですな−でも、それに似たようなことがありました。
町村名で、色々ごしゃごしゃするので、えーい面倒なりとばかり、合併した村数をそのままつけたりして、七会(ななかい)村(茨城)・六ケ所村(青森)など。
若干ひねって六合(くに)村(長野)は、古事記や日本書紀などに記述されているくだりからパクっています。
同じく、御代田町(長野)は、4つの村が合併したのですが、明治天皇の御代を祝ってつけたもの。こ〜しゃだの〜。
あとは、両方の村のかしら文字を合わせたやつとか、扶桑や瑞穂などのめでたい文言をつけたもの。
それでもまとまらないと、年号の明治を町村名にしてしまったり。当時24ヶ所も誕生したとか。
ま、詳しくは、新潮OH!文庫の『地名の謎』(今尾恵介)を読んでね。
で、何を書こうとしておったんだかな。
う〜ん。アル中ハイマーで、だちかん。
そうそう、「高千」という村名のいわれについてだったわい。
この名前、高千穂の名から来たのだとするトンでも説があるのですが実は・・・・
話は明治維新直後まで遡ります。
維新直後、政府は直ちに戸籍の取りまとめに動き、明治4年佐渡でも全島350余りの町村を25区に分け、それぞれに戸長を置き事務をとらせました。
明治6年の大・小区制を経て、これらを再編し戸長役場を置くことになりました。すると、その位置をめぐって紛争がおきました。江戸時代でも代官所誘致をめぐって紛争があったそうですから、別に驚くことも無いのですが・・・・。
高千でも、北田野浦・高下・千本で戸長役場の位置を巡り紛争が起きました。結局、千本に役場を置くことになりましたが、北田野浦はそれを不服として、分離独立を新潟県に願い出るほどでした(結局もとの鞘に収まったみたいですけど・・・)。
そして、明治の大合併。さきほどの地名騒動が全国で発生するわけですが・・・
二見では、「二見村に郡下最大の良港あり、その名著しきにより」として命名。
相川町では「大町の名称による」という原則から命名。
金泉では、どのようなやりとりがあったのかしれませんが、姫津が「村名に不服」として混乱。推測ですが、当初は「達者」案だったのかもしれません。それを「達者に役場があるねーか。なんもかんも思い通りにさせん」ということだったのでしょうか。結局「古より達者に鉱坑ある故をもって多数の希望にしたがいこれを選定」として命名。
戸地から後尾は、北の海に面しているとのことから、北海(きたみ)村。もっとも、明治34年の再合併で消滅しますけどね。
外海府は古よりの地名を継続。
で、高千は、大村であった高下と千本のかしら文字をとって命名。もし、これが北海村が最初からなく、南片辺から石名までの大合併だったらどうだったのか。後尾から南片辺が雑太(さわた)郡であったことに感謝しなければなりませんね。
脱力感で、オチまで考えられません・・・・
2005-02-25 | おんごろべ