なかなか話がすすまれんで、よんどこねーことです。
山本修之助編『佐渡叢書―佐渡維新日記・佐渡海防史料』を読んどったら、おもしい てやまらんもんし、海士町孫八さんのことは、ちょっと後にさしてくらんし。
さて、こんじな(この間)は、異国船発見時における、連絡マニュアルについて紹介しました。
今回は、異国人が上陸したらどげんしるか、の対応マニュアルです。
ひと〜つゥ〜
異国人が上陸しそうになったら、ムラの男衆残らずその場所に集まり、竹やりや鋤で相川表より応援が来るまで阻止。
ひと〜つゥ〜
近辺の村々で女・子供や足腰の弱い者は、近くの山林に避難させよ。
ひと〜つゥ〜
米なんぞ奪われないよう注意すべし。
ひと〜つゥ〜
非常の節、鐘はカ〜ンカン・カ〜ンカン・カ〜ンカンと叩くべし。
・・・あの〜村びと2号なんですが、おらちのムラは鐘がねーんですけも
はい、いいところに気が付きましたね。よい質問には、よい回答があるものです。
そんな時には、竹筒を用意しておきましょう。それを吹き鳴らして合図します。
けれども、お風呂屋や人足を集める時など、竹筒を吹き鳴らす例が多く有りますが、非常の節は止めましょうね。
ひと〜つゥ〜
竹やりは村方で用意することとするが、乱雑にしていてはいけない。
ひと〜つゥ〜
異国人は火術が巧者であるので、家々に火矢を射ち掛ける例もあるから、消防の心がけもいたすように。
ついでにかねるけも、そげんになったら鍋釜貸してね。
と、ま〜こんな具合に、微に入り細に入り。
はぁ〜幼稚園園児ですか、人民は。
「情報」と「危機管理」という言葉をちりばめれば、マニュアルのできあがり。
プラスチックワードというやつですな。
ご存知の通り佐渡は天領ですので、自前の軍隊がありません。
ですから、非常時には、他藩から兵力を動員することになります。
で、異国船を確認したときには、次の手順で新発田藩・長岡藩・高田藩に応援を頼むこと になっていました。
その手順はというと・・・・
まず、佐渡のどこでも異国船を見かけたら、各藩宛同心1名と雇いの者1名づつ、小木 より小早船にて渡海すること.。旅費は同心5両、雇いの者は3両とする。
・・・あの〜旅費の支出項目は?
地方諸入用から支出してください。
・・・あの〜小木から渡海できなかったらどうするんでしょうか。
赤泊や夷湊があるでしょ!
・・・あの〜そうすると、旅費は・・・・
いちいちクジクジしいなぁ。んな、
どっか旧市部から出てきた役人だかっ!!!
え〜、御三家には、「佐渡のどこそこに異国船が来て上陸を始める様子なので、人員・大筒・中筒を至急差し向けていただきたい。着岸は小木・赤泊・夷湊に案内の役人がいるので、詳細はその者たちに聞くように」との内容の通達書を、白木の状箱に入れて渡すこと。
・・・あの〜なんで白木の箱に入れるんでしょう
やかましい!!!
あっちへいっておれ!!!
え〜通達書を渡すときの口上は、長岡藩は夷湊に、高田藩は小木湊に、新発田藩は赤に上陸するようにとし、それぞれ上陸地点に案内役を2人づつ派遣する。
そして、これら3家の手勢の内1家は、羽田浜に陣を構え、弁天崎から春日崎に大筒を 配置させる。
ま〜御三家に知らせるんでもこげなのに、江戸表はまっと面倒げになっています。
「江戸表へ注進申上げ手続き大概」
こげんせんと、お上のハクがつかんだの〜
ひと〜つゥ〜
御機嫌伺呈書や異国船発見報告は宿継証文をもって差し出すこと。
ただし、先年蝦夷地へ異国船が来たとき、呈書とともに差し出したら、評議の上挨拶などの手続きで手間取ったので、注進状だけでも速やかに御用番屋敷へ差し出してもかまわない。
はぁ〜こげな緊急時でも、したくらいうのんがおるんだの〜
ひと〜つゥ〜
注進状の文面は、いつどこで異国船を見かけ、去年の通達通り高田・長岡・新発田藩へ応援をたのんであります。以降、おいおいご報告いたしますとの内容を記すべし。
ひと〜つゥ〜
この注進状は呈書箱に入れて運ぶべし。
ひと〜つゥ〜
浦方番所・浦目付の付き添いでは宿継ぎ送りは難しいから、一番手組頭などが各宿で口上するようにすべし。
ひと〜つゥ〜
でもね、注進状だけだと、高田・長岡・新発田各藩では詳細は解りかねるだろうから、ちゃんと別に同心・使役の者も各藩に派遣のこと。
ひと〜つゥ〜
江戸までの道中昼夜限りなく、関所も夜間の場合は口上で通ってもよし。
もし、ひたくらいわれて通行に難儀するようであれば、老中の証明書を送ります。
・・・あの〜、難儀していることを、誰が連絡するんでしょうか。そこの関所の役人でしょうかねェ〜
え〜い、だまっておれというに!!
ひと〜つゥ〜
江戸に着いたら、直ちに御用番御老中御宅に向かい注進状を、口上とともに差し出すべし。ただし、その前に板橋宿で案内の者が待っているから、その者に案内させて注進状を届けるべし。
このほか、宿継送証文などが不要になったときの返納方法やら、御用番御役宅での対応など、そして旅費は往復20両とし、これも地方諸入用予算より支出することになっていました。なお、各宿の代金は、行きは火急のことだから急がねばならないので、支払いは帰りにおいおい支払うことにもなっていました。
うん、このへんの融通さは、どっかの市役所に学ばせたいな。
・・・それってあてこすり?
いやいや、どこだちゅうことはねーわさ。深読みだっちゃ。
ところで、海士町の孫八はどげんなった?
まぁまぁ、あせるなっちゃ。はりきり奉行が作った戦闘序列があるんで、これを書かれどーする。
そんなわけで、次回に続きます。
2005-06-25 | おんごろべ