m(*- -*)mス・スイマセーン
いや〜、ほうべんなしになっておったら、ごろよめんかたのンがどこにもあれせんが〜
=ε=ε=(#`・д・)/ コラァー!! どすばか!!さっさと書かんか!!こしゃあつけるぞ!
ノ|_ _ ノ|ごめんなさぁ〜い
あの〜いろいろございまして、あの〜〜〜〜〜〜〜。
武藤のスペースローリングエルボー!o(">o<)っ☆#▼ο▼)アウッ!←蝶野
ε=(怒゚Д゚)ノノ ゴルアァアァ!!!!!
遊んでおんなあ!!!!!!
(フラッシュの吉野家編参照)
そんなことで、お久しぶりでした。
引き続き、「海府大変(黒船騒動)その5」書きます。
嘉永2年(1849)7月19日、近づいてくる黒船に見とれていた海士町の孫助さん。われにかえって、真更川浦目付に異国船出没をご注進。
浦目付役の牧野新三郎は、ただちに飛脚をもって相川表へご注進。
この報告は、申の上刻といいますから、午後3時半ころ、奉行所に届きます。
これをうけて奉行所では、広間役を始め、20〜30人あまりが武器をたずさえ現場に向かうことになっていました。
と、ここまでは公式記録によれば、マニュアル通りに進んでいました。
しかし、『浮世話』という聞き書きを見ると、様子が異なります。
それによれば・・・
ご注進が届くと、奉行所内はそれこそ、上を下への大騒ぎ。それでも午後7時頃には広間役を先頭に、非番の若手などをかき集め、当初より多い50・60人余りの打ち手がそろい羽田の浜へ。
しかし自前の船はなく、海府から来ていた炭積舟を徴用して、ほら貝・具足・武器などを積み込みます。しかし、イカ釣のため漁舟は出払っており、まったく足りません。そのため海辺で火をたき舟を呼び寄せようと大声でさけぶやら、びっくりした町人たちが大勢集まるなど、当初の目的がわからなくなるほどの大騒ぎとなってしまいました。
それでも、やっとこ出陣できたのですが、願沖についた頃は、異国船の姿などありませんでした。
うん、これを見ると、昔も今もそう変わらんのですね。
時間をさかのぼって・・・・
一方、渦中の孫助さんはというと・・・・。
その巨大な異国船から2艘の舟が下ろされました。それぞれ長さ9尋幅2尋の伝馬船。それらは願の磯端までやってきて、海の深さなどを測り始めていました。
11時頃になると浦目付役の牧野新三郎が到着。彼の指図で水を積み、孫六など6名とともに舟を沖に漕ぎ出しました。すると、相手は警戒したのか沖に向かうので、水はいらないのかと身振り手振りで知らせました。相手は、こちらの意図を察してか、舟をこぐのを止めました。
伝馬船に牧野らが舟を横付けすると、それは鉄の舟で8人が乗り組んでいました。
彼らはいずれも背が高く、毛髪はちぢれて赤毛、服はラシャでボタン掛の仕立て。 水を飲ませたところ大いに喜び、もう1艘の舟も呼び寄せ、乗り組んでいた9人にも飲ませました。
彼らは大変喜びして、お礼に焼もちのようなものを14〜5枚もくれました。それは、差し渡し3寸、厚さ5分ほどの麦を仕立てたものを焼いたものでした。食べてみたところ味はしなかったとか。
さて、乗組員を落ち着いて眺めると、2人くらいが頭領と思われる者がいて、ひげを生やしてなかなかの美男子。部下と思われる者もひげを生やしているが人柄は悪く見えますが、3人ほどと掛け合ったがなにごともありませんでした。
すると、頭領と思われる者が、懐中から銀貨らしい銭を取り出し、女はいないか、この銭で楽しみたいという様子で掛け合ってきました。
うむ、おそるべし!!
オゲレツ魂。
かのことだけは、万国共通なのでありますナ。
ささやかな国際交流を終えると、午後4時頃、異国船は西南の方向へ出向していきました。
さて、後日談。
この出来事の詳細は、長岡藩にも連絡済。新潟奉行も同様。
真更川浦目付役牧野新三郎の的確なご注進も、平常の覚悟があってのことと、昇進かつご褒美として銀3枚を申し渡す。このことは、江戸表へもよろしく聞き及び候などと、万々歳に処理できたと公式記録にはあります。
でも、あの夜の羽田浜での大混乱は、報告されませんでした。
そして、その4年後、浦賀にペリー艦隊がやってきたときも同じ騒ぎとなり、この貴重な体験が活かされることはありませんでした。
う〜ん、いつでもお役人というのは変わらせんもんだの〜〜
さて次回、越後のルポライターが
明かす海府大変の衝撃的な
事実ゥ〜〜〜〜〜!!!
ヾ(@○@) ええええ!!!
お楽しみに・・・・・・・
うん、まてに(まともに)かいてくれればの。
ρ(´ε`*)イイモンイイモン・・(。_ _)シュン・・・
2005-10-16 | おんごろべ