海府ごろよむ通信

■ 海府よもやま話 −海府の「へぇ〜」を紹介しています。−

海府大変(黒船騒動)その6

  は〜っ。
  くったくだわえ〜。
  また、締切日がきてしもうた。
  前回は、テンションが高くなって、覚えたての絵文字で遊んでしもうたら、
  さっぱし

 

 


 鬱。

 

 

 そんな訳で、今回はシズカに(おとなしく)書きます。

 

 異国船騒動から1月余りの8月11日、越後新発田から一人の人物が渡海してきました。

 

 小泉蒼軒。

 

 あの、コイズミくんとはまったく関係ありません。

  寛政8年(1796)生まれ、父は越後の著名な地理学者小泉其名といいます。
  蒼軒は幼い頃から英敏、博覧強記で、15歳のときから父とともに越後各地を歩き、地理・歴史・民俗はもとより、国学・民政・測量・治水などなどの地誌・随筆・記録を360冊もまとめました。その中には、村々の戸数・堂宇・人口を記録した『佐渡国雑誌』も含まれています。
  江戸の滝沢馬琴など交流していた文人学士も多く人脈も多彩で、相川の石井文海もその一人でした。
  そのため、佐渡奉行所の地役人とも容易に面会できました。


  蒼軒は土産の真綿をたずさえ、17日の夕刻、広間役田中八十郎宅を異国船渡来の様子を聞き取るため訪れました。
  最初は、誰?という表情だった田中八十朗も、あの小泉蒼軒だと思い出し、けっこう本音を語ります。


  以下、そのインタビューから・・・・

  新発田の加勢は役にたたん。古来より寺泊から渡るというが、高田・長岡などが先に行くから間に合わない。このことは、ワシが出雲崎に居るとき説得したが聞きうけてもらえなかった。とにもかくにも、早く渡って旗を立てれば、それで威をたてることができるのに。
  そのことを、新発田へ戻ったら伝えるように。


  新発田の手配は、侍が不足してむずかしい。足軽は不足していても侍がいっぱいおれば異国船を防ぐことができるのに。しかし物入りだろうな。


  先だっての異国船騒ぎのときは、真更川の浦目付役の牧野新三郎は大手柄だったよ。異国船を見るや家内の者と杯を交わし、具足を身に着け槍を引っさげ、願村に出陣すれば、これで皆落ち着いたよ。この者、普段は使い道のない男だが、さる異国船を「俺が居るうちは寄せ付けぬ」と命をはっての振舞い、御奉行様からご褒美までいただいたよ。人は使い道のあるもんだね。年は33・4位だっていうよ。


  異国船には大砲があったらしいがよくみえなかったらしい。船底は銀色で、黒人なんかもいたらしい。しかし、役人の報告はわかりやすいが、百姓のはわかりづらい。
  実はな、今回の異国船が初めてではなく、4月にも来てたらしいぞ。この調子だと来年もくるかもしれぬ。困ったことだ。
  あ、そうそう新潟表では、先月の異国船に百匁筒を射掛けたという噂が流れているらしいが、弾は込めるがそんなことはない。新発田に戻ったらその旨報告して欲しい。
(ちなみに、百匁筒は大筒であり、鉛玉の直径はおよそ40ミリで、抱え撃ちする大型鉄砲です。もっとも曲撃ちにちかいものがあったみたい)


  などという話を聞きながら、羽茂に寄り付いた異国船の樽や、大浦の寄り鯨に突き刺さっていた銛などの図面を書き写し、家を辞しました。



  さて、蒼軒3日ばかり相川に逗留し海府路を北へ、噂の現場を訪ねます。
  道中、けっこう面白いエピソードがありますが、追って後日。
  先を急ぎます。

  21日、真更川の土屋三十郎家に宿を求め、主人から話を聞くことができました。
  彼の話はこのようなものでした。


  7月19日の4つ時の頃、浦目付けの新三郎殿が自分を見かけ、鵜島の沖に見慣れぬ舟が見えるので、舟で見届けたいから支度をしてくれといわれました。ありゃあ、こりゃあ舟を用意せよちゅうことかなと思い、皆は田んぼに行っておらんぞというと、いや人足は自分で用意するからとせかせます。なま返事をしてぐずぐずしていたら、もう新三郎殿は若共を引き連れて、舟を乗り出さんとしています。
  新三郎殿は、具足に身を固め槍を持っています。
「この槍は、父甚兵衛が越前で狼を突き刺した名代の槍。このため狼も甚兵衛と聞くと大いに恐れたというぞ」、とひとくさり。すると、懐中より相川への注進状を取り出し、陸からでは時間がかかるから舟で届けよとせかされるので、そんなことをいっても万が一ということもあるしと注進して、陸と海から同時に届けることにしました。

  さて、舟を漕ぎ出した新三郎殿たち。かの異国船から下ろされた2艘のテンマが願へ向かって行くので、こりゃあ出会ったときに多勢に無勢と、いったん大野亀に上がり願へまわり、人を集め、水も用意させました。

  新三郎殿、たぶん具足では警戒されると思ったか、水をすきなだけ与えて、舟の様子をさぐれと乗り手に命じて舟を漕ぎ出させました。

  ようよう、テンマ舟に近づこうかというとき、鷲崎が百匁筒を3発ぶっ放しました。
  すると、テンマ舟の異人たちが大声を出して舟を戻そうとするので、かくてはならじと竿に着物をかけ、大きく振り回しながらテンマ舟を招き寄せました。
  すると、引き返してくるので、水はいらないかと手招きすれば、よろこんでこぎ寄せてきました。
  彼らは、水を飲み干すと、皆は冠物を取って礼をいい、風呂敷の中から焼麩のようなもので、いくつも穴のあいたも物を10個もくれました。後で食べると、焼麩の味がしました。
  内、2個は相川表に差し上げました。
  かの舟の中に、肩の幅5尺ばかりの男がいて、願の三郎の手を捕まえてなでていたが、すいぶん細いとおもったのかの〜。
  あと、黒坊のことなど、相川で聞いただろうから、略します。


  一方、新三郎殿は、浦目付から百匁筒を願へもってきて、相川からの打ち手は真夜中になるはずだから、心してかかれと。しかし異国船は、夕刻出向してしまいました。どんなしかけなのか、本船にテンマ舟が横付けすると、あれやれよと巻き上げて積み込みました。ところで、20日昼頃も沖に異国船が通るのを見かけたが、3艘位異国船が徘徊していたのだろうな、ということでした。


  そんな、話をききながら蒼軒は、石井文海らの描いた万国旗などを思い浮かべながら、歴史がゴトリと動いたのを感じていたのかもしれません。

  ちょっとまじめな文体となってしまいましたが、面白くなかったでしょうかね。
  うん、木の葉の落ち頃で、メランコリーになってすんど〜

 

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相原コージ風に・・・


生まれてきてごめんなさい・・・・by太宰治

 

2005-10-30 | おんごろべ

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